高畑耕治『死と生の交わり』


殺す

「 殺すこと 」 それが、人間を含めた生きものの本当の姿ではないか。
 人間はそれを隠そうとする悲惨でむだな行為をくりかえすだけではないのか。

生きることは殺すこと。
 生きようとして殺す。殺し殺されるのがいやで、殺し殺されることのないことをねがい、殺し殺される。
 生きることじたいが殺すこと殺しあうこと。
 生まれたとき、殺すことがはじまり、殺されるときまで、殺しつづける。
 殺しあわずには、生きられない。

どの生も最後に、殺される。
 殺されるまで殺されるために生きている、どのように生きても殺されると感じてしまうとき、生きることが傷つけ苦しめ殺すことなら・・・

殺されずに、自分を殺すためにだけ生きる。
 死ぬために 生きる。

自分のために死ぬ。
 死だけは孤独なもの。
 死が孤独であるからこそ、生はひき裂かれていて、殺しあう。
 それだけはごまかさない。

何かのために死ぬことは、できない。
 誰かのために死ぬことはできない、悲しみ。
 キリストでも、仏でもない。

「 痛いのはいやだ 」
 「 苦しむのはいやだ 」
 「 殺されるのは
 ”おびえているだけじゃないか”

殺すのも、殺されるのも、
 苦しめるのも、苦しめられるのも、いやだ。


「 殺す 」( 了 )

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