詩人 寺井青

詩「パンジー・相聞」。『チルトテイソグナ 寺井青詩集』(2012年、土曜美術社出版販売)所収。



パンジー・相聞


( 人 ) ―冬の初め
花屋の店先に
パンジーの苗が出始めたら
わたしは今年も一鉢買って
部屋の窓から見える戸外に置いて
冬中眺めていよう
藍や黄色の花が次々と咲くだろう
やがて年が明け
白い雪が降ってきたら
ときどきわたしの手で雪を払ってやろう
冷たい雪の下でも萎れずに
緑の葉を伸ばしつづけるパンジーよ
わたしはおまえと
冬の寒さを共有するのだ

( 花 ) ―夏はまたたくまに去り
秋も過ぎて
迎えるのはとても長い冬
わたしは人から
パンジー・三色菫と呼ばれる
けれどほんとうのわたしは野に咲く菫
一夜草・二葉草の小さな命
人に踏まれても
しなやかに起きあがることが出来る
わたしを愛してくれる人よ
かりにそれが一時の慰めに過ぎなくても
わたしは光を信じて
いつまでも待つことが出来る

( 人 ) ―フランス語でパンセとは考えること
パンジーは考える草
わたしは考える
わたしを厭い、蔑み
陥れようとする人間のいることを
わたしを踏みつけ排斥しようとする足は
コンクリートの進化論に歪められた足だ
野原を蹂躙し
支配しようとする思いあがった足だ
進んだ文明を手に入れた者だけが
世界の設計図を描き
大地の色を塗り替えていいというのか
大地には病んだ者、傷ついた者、老いた者
不運な者、恵まれない貧しい者
もろもろの弱い者たちが生きている
わたしもその一人だ
それでもわたしは悴んだ手で
パンジーの雪を払いのける

( 花 ) ―わたしは一夜草
一つ一つの花の命は
咲いてはしぼむ短い命
けれどそれぞれの花の命は
すべての花の命とつながっている
去年も見ていた
あなたは毎朝わたしを眺め
丹念に咲き終わった花がらを摘んでくれた
あなたはわたしになり
わたしはあなたになりたい
わたしがパンジーに生まれてきたのは
おそらく神の思し召し
ならば神は
どんな思し召しで人を生んだのでしょうか
わたしは自分が草花に生まれ
あなたが人間に生まれたことを
ただ黙って受け入れることしかできない
人はわたしより
はるかに長い年月を生きられるのに
自分の命の終わりが
ほんとうの命の終わりだと悲しむ

( 人 ) ―ある日一鉢のパンジーに出会わなかったら
花がこんなに愛しいものと気づかなかった
おまえはわたしに
ささやかな希望を与えてくれる
雪を被った花びらに手をさし伸べるとき
わたしは何かに近づいていける
わたしを生んでくれた遥かなるもの
わたしを本来のわたしに
気づかせてくれる存在に
でもパンジーよ、
わたしは愚かな人間だ
あの冬雲を見ろ
罪深い人間たちが歩いているような一列の雲が
夕映えを背に薄墨色に流れてゆく
まるで世界を追われてゆくかのように
もし春になっても
おまえが花を咲かすのを忘れていたとしたら
わたしはふと容赦なく
おまえを抜き取り
捩じ伏せてしまうかもしれぬ
あるいは閉じたままの蕾をむしり
自らの加虐的な行為に快感をさえ
覚えるかもしれないのだ
パンジーよ、それでもわたしを許せるか

( 花 ) ―人よ、あなたは病んでいるのですね
野原でわたしを見つけ
幾世代もかけて愛してくれた人間たち
わたしをパンジーと名付けてくれた
あなたはわたしの神であったはず
わたしを美しいと感じるのは
あなたが美しいから
あなたが美しいものの存在に
気づいていたから
自らを醜いものと賤しむ者こそ
ほんとうの美しさに近づいてゆくことができる
それでもときどきは
美しいものの存在を忘れてしまう
人はなぜ自分を愛し、自分に絶望するのか
人はなぜ人を愛し、人を憎むのか
ほのかな月の光が大地に差す頃
わたしは花びらを閉じて考える

( 人 ) ―わたしは見るのだ
咲き終わったヒマワリのムクロのような人間を
いつも顎を反りあげて
周囲からは嫌われながらも
自らを誇ることしかできない人間だ
強い者の顔色を窺い
弱い立場の仲間を蔑視する
醜い黒ずんだヒマワリのムクロのような人間
わたしは学問もなく財産もない
一介の労働する男
そんなわたしをも嫉み、誹謗しつづける
わたしは毎日額に汗を滲ませながら働くが
その人間はけっして自ら手を汚す仕事はしない
わたしの管理者でもないのにわたしを監視し
罵倒する機会を窺っている
わたしはその人間の存在を無視することにした
するとそれが気にいらないのだ奴には
パンジーよ、
おまえに会うと救われる
わたしの生涯の安らぎでいておくれ

( 花 ) ―待って、あなた
草花には人の世界の争いごとや
心の葛藤などは無縁のこと
わたしを愛するというあなたが
他人への憎悪に囚われているのは悲しいこと
その人をヒマワリのムクロなどと呼ぶのは
止めなさい
わたしたち草花には
愛や憎しみは貝のように禁じられた言葉
いえ、遠い昔に鳥たちに運ばれ
海の底に沈められてしまった言葉
人よ、
わたしは人間であるあなたを
愛することも叶わないこと

( 人 ) ―わたしの心にもヒマワリは棲んでいる
ヒマワリのように太陽を追いつづける
太陽はわたしの肉体を屹立させ
労働する力の糧となってくれる
わたしの孤独な精神を
大きな光で包み潤してくれる
だからわたしは幻を見るヒマワリのように
夏の日の明るい太陽に恋しつづける
パンジー、小さな野の花よ
おまえの放つ光は太陽の光
おまえの命は太陽からの命
わたしはおまえに子孫を託したい

( 花 ) ―捨てなさい、人よ
生ある者はみな
自らの命を残そうとして他の命を奪う
けれど奪われるものは奪われることによって
自らの命を
他の命に委ねることができる
捨てることは残すこと
人よ、わたしの種子は
いつか鳥や風が運んでくれる
捨てなさい
あなたの肉体を通り抜ける束の間の幻
さざ波のような生へのこだわり
それはまず自らを捨てること
わたしもあなたも
今の小さな命を捨てた時こそ
大きな命の流れの中に
永久に甦ることができる
けれども
自らの意志で生まれてきたのでないかぎり
自らの意志で生まれ変わることはできない
いつかかならずあなたは迎えられる
大きな命の世界に
それまでは待つのです

( 人 ) ―おまえと出会うよりずっと前から
おまえを知っていた
おそらくこの世に生まれた時から
わたしはおまえを想い続けていたのだ
それが大きな力でなくて何だろう
たとえおまえが小さく愛しい命でも
その光がいま
野の花の姿を借りてわたしの目の前にいる
わたしは人間の世界を捨てるのだ
野原の一瞬の出来事のように
おまえとともに花を咲かせ
一面の光の中で大地に還るために
今の命を捨てるのだ

( 花 ) ―人よ、生きるのです
捨てることは残すこと
残すことは捨てること
生きることは死ぬこと
死ぬことは生きること……




* ルビ 悴んだ: かじかんだ。思し召し: おぼしめし。



著者略歴
寺井青(てらい・あお)
一九四八年 新潟市中央区東堀通り九番町に生まれる。
詩集『混沌の詩篇』、『寺井清詩集』、『チルトテイソグナ』。
編著『新潟魚沼の抒情詩人 常山満詩集』(2014年、喜怒哀楽書房)。
所属 詩誌「野の草など」。日本詩人クラブ会員。新潟県現代詩人会会員。

掲載されている詩の著作権は、詩の作者に属します。

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