詩人 大原勝人

詩「母の乳房」「火の路地」「独りぼっちの戦死者」
詩集『泪を集めて』(二〇一二年、コールサック社)所収。


母の乳房


稲田から吹き寄せる青草特有の熱気が
更に暑さをかき集めてむせる昼下がり
昭和二十一年七月
戦死した兄の戦友と名乗る若者が
復員した広島の街から我が家を訪れた
役場からは先に戦死の公報が届いていて
その覚悟は出来ていたものの

……確かにうちの息子に間違いありゃんせんでしたでしょうか……

母親キミの眼は祈るように
くどい程の質問ぜめであった

南太平洋ニューギニア諸島のブーゲンビル島
すでに食糧も弾薬の補給路も断たれて
日本軍は少しの芋畑作りと椰子の実の他
島に棲息する生き物は何でも食糧とした
ふる里の食べ物のお国自慢は
束の間の兵士達の安らぐ時間だ
飢えてゆく島、祖国から見放された孤島
痩せた頬、幽鬼にさまよう眼
連日のように襲いかかる敵爆撃機
抵抗する術を失った日本軍は
その度に密林の中へと逃げ込んだ
激しく撃ち込まれる銃撃の嵐
密林に慟哭(どうこく)が走る
母親の名を絶叫する者
妻や子供の名を叫び続ける声
ジャングルは騒然とざわついた
やがて兵士達は戦死する事が祖国へ還れる
唯一の道と信じるようになった

若者が帰って行ったその夜
母親は声を上げて泣いた
肌もあらわに乳房を放り出し
それは幼児に乳を与える姿で
錯乱した母を
誰も慰めることが出来なかった
兄・温巳(あつみ)、昭和十九年戦死、行年二十才
母・キミ、昭和二十一年 当年四十八才
村ではこの夏最後の村葬が行われた



火の路地

      大阪大空襲三月十五日


ウオーウ・ウオーウ
断続的に叫び続ける警鐘のサイレンが
未だ明けきれぬ兵舎の地軸を揺り動かす
呼応して非常起床のラッパが急を告げる
完全装備で営庭に整列した兵士
大阪府泉北郡信太山無線通信教育隊
昭和二十年三月入隊したばかりの初年兵達だ
西北の空を見ればそこは大阪市内
爆撃機B29が落とす油脂焼夷爆弾が
地上二〇〇m の所で更に四方に分裂して
垂直に落下する凄惨な花火の修羅の真只中だ
トラックで兵士達が被爆地に到着した時は
空爆も終わり街は燃え盛る火の海
誰人も近寄る事を拒絶する勢いの
ただ、ガラガラと焼け崩れる建物の他は
辺りは凄まじいサイレントの世界だ
極限の恐怖が音を消し去るのか
なぜか裸馬が一頭、火の中を走り抜ける
七、八歳ぐらいな男の子が四ツ身の着物の
前をはだけて泣けない口を歪めて
人の助けの届かない火の路地に消えて行く
……彼(あ)の防空壕……ひとりの兵士が叫んだ
土饅頭の形をした壕の板戸の隙間から
水蒸気らしき物が漏れ出ている
兵士が駆け寄り板戸を叩き外す
ファーッと吹き出る湯煙

……生存者は居るか
問いかけにも応答は無い

太陽は舞い狂う黒煙に遮断されて地に届かず
街は溶鉱炉と化して紅蓮の炎を巻き上げる

自分達の役割は一体何であったのか
帰途に就いた兵士達の表情はいずれも硬い

 貴様ら見たか、あれが米英(やつ)らの本性だ、我々には神風がついてい
 る必ず吹くぞ、最後の勝利は大日本帝国我々にあり、

引率古兵の張り声に……おおーッ……
兵士達は反応して天に腕を突き上げる
それを尻目に敵艦載機グラマンが超低空で
炎の大阪へ凱歌の爆音を響かせて襲いかかる
それは更なる大阪大空襲への序曲であった



独りぼっちの戦死者


梅は狂い咲き、咲き遅れの花は
虫に食い荒された傷を
心に深く刻みこんだまま、Y家では
長兄の六十路を過ぎる法要忌が行われた
参拝者はいずれも中老の彩を濃くした
弟や妹達で両親の姿はすでにない

それは、戦局が一段と厳しさを増して
本土決戦がささやかれた昭和二十年二月頃
神戸の或る大学の学生だった長兄の伸夫は
学徒動員令による徴用で
同じ市内の造船所へ狩り出されていた
大学の学習とは異なる船の荷役労働は
過酷を極め、事件はそんなときに起きた
或る日、動員学徒だけ広間に集められ
訪れた陸軍将校の口から
戦線への出陣出願要請であった
……畏(かしこ)き辺りでは……と天皇に話が及んだ時
伸夫はいつもの癖で腕組みをして聞いていた
素早くそれを同行の見習士官に見咎(とが)められ
別室に連れて行かれるや

……貴様は不敬罪だ、この非国民めが……

罵倒されて殴られ、倒れた上から長靴で
踏みつけられ、それは失神するまで続いた
やがて伸夫は実家に送り返され、両親は
吾が子のあまりの形相の姿に言葉を失った
昭和二十年八月十五日、敗戦の日
伸夫は胸の強打がもとで肋膜炎を患っていた

……俺をこんなにした見習士官(やつ)を許さない

伸夫は頬を紅潮させてまた高熱を出した
昭和二十二年彼の病は癒えることなく
此の世を去った
息を引き取る数時間前
意識の朦朧と混濁する中
軍国の悲しい海の歌を、殆んどうわ言の
唇を震わせながら眠りに就いた

……なんでこんな事に、誰のために……

父親は失意のあまり荼毘に付した後
無念に砕けた伸夫の骨をポリポリと食べた
時季遅れの梅の花が風に舞う頃であった



著者略歴
大原勝人(おおはら・かつと)
一九二六年 広島県豊田郡沼田西村(現・三原市沼田西町)に生まれる
一九四五年 無線通信兵として入隊するが、終戦のため復員。
一九七八年 短歌集・回顧録『道草』(私家版)。
一九七九年 短歌集・回顧録『波の花』(私家版)。
二〇〇七年 詩集『通りゃんすな』(コールサック社)出版。
二〇一二年 詩集『泪を集めて』(コールサック社)出版。
広島県詩人協会会員。中四国詩人会会員。
詩誌「火皿」「衣」同人。「モデラート」「コールサック」に寄稿。


掲載されている詩の著作権は、詩の作者に属します。

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