詩人 坂井のぶこ

詩集『浜川崎から』

浜川崎から(抄)


  序

大寒の日
夜明けの空に金星が昇ってくる
飢えたヒヨドリもまだ叫びださない
小鳥たちも空をよぎらない
寒さは骨に届きそうだが
もうしばらくここで
静けさに身をゆだねていよう
ほんのり明るむ東の空
その向こうの海の夜明けを想っていよう
白銀色に輝く星といっしょに
始まりを迎えよう
命をはぐくむ沈黙のなか
またいちにちを迎えられたことを
この静けさに身を包まれていられることを
感謝しよう

  ☆

お金が回っていきません
どこかに無理があるのでしょう
お金が回っていきません
どこかに溜まってここにはきません
お金がない ないと
猫が鳴きます
虫も鳴きます
人も泣きます
こまったことです
さてさてわたしはどうしましょう
絵をかきましょうか
歌をうたいましょうか
それとも童話でもかきましょうか
どれもお金にはかわりません
何が間違っているのでしょう
お金がまわってくるように
どうにかできないものでしょうか

  ☆

命ってなんだろう
私はなぜこんなふうに
生きているのだろう
夢をみている
命の夢を
生まれ変わり
死に変わり
くるくるまわりながら
生きてきた命
バラも空も雲も
メジロもヒヨドリも
みんな生きている
私は生きたいと思った
死ね、といわれたときに
死ね、と言った人よりも長く
生きたいと思った
そして生きている
でもどうしてだろう
世界はそう悪いものではない
空をみているだけで
流れる雲や
川の水をみているだけで
心は安らいでゆく
命の夢をみながら
微睡んでいる
幸せはそこにある



寒いので布団をかぶってじっとしています
怠け者を絵に描いたようだと
自分でおかしくなってしまいます
枕元に置いたチョコレートを一口齧ります
頭がはっきりしてきます
こんなふうに目覚める一日いちにちが
とても愛しくなってきます
愛ってなんのことだったっけ
猫の瞳を見つめることです
木や草の芽吹きを見守ることです
ご飯をあげて言葉を交わすことです
元気だったかい
ニャアオ
今日は寒いね
ミャアオ
いっぱい食べてね
フニャフニャフニャ
お互いに解っているのかいないのか
猫の瞳は澄んでいます


  ☆

命ってなあに
それはくるくるまわるもの
私がいなくなったとき
わたしの体は地に還る
空気のなかにも混ざってく
小さなちいさな生き物に分解されて
水になり 空気になって
草や木のなかにもはいってく
猫や犬や魚や
子供たちの体のなかにもはいってく
命ってなあに
それは静かに燃えるもの

  ☆

水の源を絶たれて
萎れながら色を保つ
パンジー
一枚の立て札がある
「この花壇は障がい者の方々が
心を込めて世話をしています」
しかし、地震の発生と共にスプリンクラーは
はずされた
「心を込めて世話をしている」人たちは
ここにくることができない
ヒバク
ミズモレ
ホウシャセン
オセン
ヒナン
いつまで続くのだろう
土の色は白くなっていく
寒さと渇きのなかで
葉は赤茶色を帯び
茎は萎び
花の重さを支えられなくなっていく
花はまだ、藍や紫、黄や橙の色を保って
耐えている
うつむいて萎れながら
ただ耐えている

  ☆

夢見ることはもう許されないのでしょうか
そんな時期は終わってしまったというのでしょうか
それでも私は夜明の空を眺め
暁の薄紅のなか
祈りを捧げます
いつか自然のなかで暮らすことができますように
幸せがきますように
四月に母と姉から花の便りが二通届きました
母は君子ラン
姉は桜の絵ハガキを送ってくれました
花は咲くのです
私の家でも小さな薔薇が枝を伸ばし
春の嵐にも負けずに蕾を膨らませています
生き物と手を携えて人は生きています
私も素朴な薔薇の絵を描いて
送りましょう
命の歓びを描くのです


著者 坂井のぶこ(さかい のぶこ)
一九五六年長野県松本市に生れる。
詩集:『のぶこ』(一九八四年十月、絶版)、『0時3分前』(一九八六年四月、漉林書房)、『東見聞録』(一九八七年六月、同上)、『今女』(一九八八年十月、同上)、『祝祭歌』(一九八九年八月、同上)、『安曇野考』(一九九一年十月、同上)、『揺らぐ音への旅』(一九九七年二月、漉林書房)、『中国古典詩考』(一九九八年七月、漉林書房)、『生きることにつらなる』(二〇〇〇年四月、同上)、『きたうらさんのぽとす』(二〇〇一年十一月、同上)、『有明戦記: 八面大魔王考』(二〇〇五年二月、同上)、『浜川崎から』(二〇一二年五月、同上)。

掲載されている詩の著作権は、詩の作者に属します。

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