愛のうたの絵ほん・高畑耕治
好きな詩・伝えたい花
偶然に出会えた、伝えたい、詩の花です。
山本みち子さん、神谷恵さん、山下佳恵さん、細野幸子さん、宮城松隆さん、吉川千穂さん、
紫野京子さん、中村不二夫さん、田川紀久雄さん、佐川亜紀さん、永方ゆかさん、坂井のぶこさん、
久宗陸子さん、司茜さん、二階堂晃子さん、大原勝人さん、大倉元さん、野間明子さん、
常山満さん、寺井青さん、井上優さん、中村純さん、亜久津歩さん。
亜久津歩さんの詩
詩「命綱1」「命綱3」「粉雪の舞う夜に」「がんばれ」
亜久津歩さんの詩集『いのちづな うちなる”自死者”と生きる』にまとめられた詩に込められた想いはとても強く、その切実さに私は読むと、
涙が流れます。一読者として、心に似通うものがあるからだとしても、その感情を揺り動かす言葉に、詩が、息づいているからだということは、
確かだと思います。詩は、言葉による芸術だから、言葉による表現をその資質から選ばされた詩人は、言葉でしか伝えずにはいられない想いを抱く人間です。
自分自身との独語の場合でさえも、必ず、自分ではない人を求め、伝えずにはいられない言葉で表現します。その真率さだけが、詩人のあかしだと
私は思います。既にある”詩らしい形”に捉われない感性の若さ、しなやかな言語感覚が生みだす自由な詩の姿は新鮮で心を目覚めさせてくれます。
中村純さんの詩
詩「海の家族」「生まれなかったあなたへ」「愛し続ける者たちへ」
中村純さんの眼差しはいのちをまっすぐにみつめています。出産の時、生まれくる胎児とともに感じた体と心の経験の時をとらえた詩は、
想像では書けない、その時を生きた女性、母となった女性であり、感受性ゆたかな詩人にしか捉えられない痛みと畏怖と喜びが、あふれていて、
美しく心うたれます。そのような彼女だからこそ、生み育てることができなかった女性、産まれることを祝ってもらえなかったいのちの、深い痛みを、
自分のこととして書かずにはいられない。産まれることはできたけれど、育くんでもらえず、社会に守られずに失われたいのちの声、幼く弱い者の、
押し殺された声、問いかけを、聴き取り、伝えずにはいられないことが、心に迫ってきます。心を揺り動かします。強く、優しい、人間の詩です。
井上優さんの詩
詩「明日が始まるとき」「蜜」「子どもの黄色いクツ」
井上優さんは生まれながら詩人にしかなりえない人間がもつものを抱えていると私は感じます。感情ゆたかな心です。
彼の詩は、感情の波のままに大きくうねり、揺れ動きます。彼が紡ぎだすこころ優しい絵本の言葉は、とても心に響きます。
抒情は詩のいのちだと私は思います。彼は抒情詩人です。詩に、若さ、熱情、ロマン、願い、憧憬がみずみずしく息づいています。
理智、知性の賢しらな功利的精神、枯れ老いた散文精神に社会が覆われていても、人間の、心、感情は息していることを、彼の魂は、
あきらめずに熱く伝えずにいられません。人間への愛、思いやり、願いこそ大切なものだと。そして絶望と背中合わせの祈りを。
寺井青さんの詩
詩「パンジー・相聞」
この詩は寺井青さんの代表作、少なくとも一読者としての私にとってはそうです。200行を越える長篇詩ですが、一息に
読めてしまう、作品の、作者の力を感じずにはいられない、大好きな詩です。優しい題名通り、とても美しく、心に響く抒情詩です。
どの詩行にも、生きてきた、生きている人の、心、想い、感受性が、みずみずしくあふれだしていて、読者の私の心に沁みこみ、
静かなこだまを、呼び覚ましてくれます。寺井さんが、詩友の常山満さんの遺稿集を自費で出版されたことを、私は深く尊敬します。
この優れた作品を生みだされた心と意志をもたれた優しい詩人だからこそできたのだと思います。とても美しい、心うたれる詩の花です。
常山満さんの詩
詩「ジュラの風 ( 時折ぼくは― )」「ジュラの風 ( 長い白壁の― )」「明日の為に」
常山満さんは詩集を一冊も出せずに2012年に亡くなりました。2014年3月『新潟魚沼の抒情詩人 常山満詩集』が出版されました。
常山さんが1986年に創刊し1993年まで10号発行された詩誌『ジュラ』に執筆されていた詩人の寺井青さんがまとめられ遺志を遂げたものです。
私は常山さんが『ジュラ』にこめられた抒情詩の復権への情熱に深く共感し愛読した一人でした。その想いはいまも変わりません。
この3篇は抒情そのものの詩です。純粋なもの、はるかなもの、美しいものを、求めずにはいられない詩心です。
読むと心がまた息づきだすのを感じる詩です。このような詩こそ、私は読みたい、私も生み伝えたいと願っています。
野間明子さんの詩
詩「硝子」「フクシマへの道」「世界のまんなかの一本の柳」
野間明子さんの詩の言葉には迫力、迫ってくる力を感じます。彼女が朗読をし続けてきたことで、音への感性が鋭いことが
その源にあります。同時に、萩原朔太郎が詩集『青猫』全体で訴えかけたような、イメージと心が濃密に滲む詩世界の
直系の人だと感じます。その眼差しは日常生活の健康性を斜視する病んだ感覚と感情と思考を彷徨います。
生の異邦人、疎外された被造物として。でも、芸術家、詩人はそういう人間です。
純粋性と愛への渇望、真、善、美を求めずにはいられず、見つけられずに失墜するイカロスのような。彼女のその思いの
強さ、真率さが、「ああ」という詩句に漏れ出るとき、私は心の谺を感じます。偽りのない抒情詩人だと。
彼女は生きづらく、世渡りが下手、詩界の世俗面にも触れないから名を知られていません。が、心に強く訴えかける作品を
書くことだけが詩人の証し、彼女は優れた詩人だと私は思います。
大倉元さんの詩
詩「父やんの一心」「うどんげの花を見つけた」「たかく たかく たかく」
大倉元さんの詩の言葉は生きています。人間の匂いと息づかいが伝わってきます。文学は最も人間臭い表現、芸術
だからこそ、古代から愛され続けてきました。ですが、人間らしさ、人間の心、人間味が心に自然に沁みてきて、素直に
受けとれるような詩が、いまとても少ないと感じます。
大倉元さんにそれができるのは、子ども心を失わずに子ども心から詩を紡ぐことができる詩人だからです。私も詩はいくつに
なっても変わらない子ども心からの表現だと思っています。子ども心にとってかけがえのないもの、身近な人たちと愛情を
伝えあうこと、これは死ぬまで人間にとって大切なものであり続ける、このとてもあたりまえなことを、てらわず、かくさず、差し出し、
感じとらせてくれる詩こそ、本当の意味での良い詩だと私は思っています。読んで、心温まり、感動できる言葉こそ、詩です。
大原勝人さんの詩
詩「母の乳房」「火の路地」「独りぼっちの戦死者」
大原勝人さんは略歴にもあるように、1945年に召集され大阪大空襲を目の当たりにし敗戦を迎えていらっしゃいます。
2012年に出版された詩集『泪を集めて』の一章には戦時に生き、亡くなった人の、忘れられない表情、伝えずにはいられない
想いが、詩作品として結晶化されています。私はその想いの強さに心を打たれずにはいられません。
この詩集、詩作品には、詩人の魂が込められていると感じます。それこそ、いちばんたいせつなものではないでしょうか。
次の書評でも詩集の全容を紹介しました。
書評 大原勝人詩集『泪を集めて』 伝えずにはいられない泪を コールサック75号 発行日2013年04月30日
二階堂晃子さんの詩
詩「生きている声」「双葉町両竹の兄」「光る文字が」
二階堂晃子さんは詩集『悲しみの向こうに ―故郷・双葉町を奪われて』を2013年3月11日コールサック社から
出版されました。「あとがき」の思いに私は心打たれ強く共感します。
「私の故郷は、福島県双葉郡双葉町両竹(ふたばぐんふたばまちもろたけ)で、実家は東京電力福島第一原子力発電所
から3.5qのところにある。あの日、地震・津波・放射能汚染により故郷は壊滅状態となった。(略)
故郷の壊滅に限りない悲しみを覚えた。私でさえこうなのだから、何百年脈々と重ねてきた歴史を受け継ぎ、生活を紡いで
きた土着の人々の悲しみは図り知れないものがある。
「悲しみの向こう」にはまだ何も明かりは見い出せない。しかし悲しみをそのままにしておいては、生きる力にならない。
悲しみを存分に書き残すことが、今、私がなすべきことであると思うようになった。」次のブログでも紹介しました。
二階堂晃子の詩。悲しみの向こうに。ふるさとを想う。
司茜さんの詩
詩「おっちんして」「二上山」「へいわ」
今、詩は量産されているけれど、どうしてこんなに「愛の詩、愛の歌」がないのだろう、と私は感じています。大切に思うもの、
何ものにも変えられないものを、心に抱いているなら、詩人は「へいわ」を問い、作品に「愛と書く」人であってほしいと
私は願います。 原発ドームの経済効果には決して変えられないものがある、故郷を愛する人から決して奪ってはいけないものがある、
悲しんでいる人がいることを忘れてはいけないときがある、そのことを詩人・司茜さんは、やわらかな作品で心を暖めるようにして
教えてくれます。次のブログでも詩想をより掘り下げ記しました。
司茜の詩。愛と書く。
久宗陸子さんの詩
詩「愛河」「月下香幻想」「水族館で」
詩誌「馬車」の久宗陸子さんは表情豊かな作品の花々を『新・日本現代詩文庫99 久宗睦子詩集』で咲かせていらっ
しゃいます。私は久宗さんの詩を昇華、かけがえのない時、けして忘れられない記憶、思いを、言葉でたち昇る華、
いつまでも咲き続ける花の姿にする芸術だと感じます。
惨すぎる過去の事実でありながら、作品がとても美しいのは、ともに生きていたその人はいつまでも美しく生きていてほしい、
そうでなければならないんだという願いそのものを花として香らせているからです。泥池に咲く蓮の花。鎮魂の花。愛の花。
美しい花の永遠のゆらめきを、みつめていたい、と私は願います。次のブログでも詩想をより掘り下げ記しました。
久宗睦子の詩。言葉の華をたち昇らせて。
坂井のぶこさんの詩
詩「浜川崎から(抄)」
坂井のぶこさんの詩集『浜川崎から』の詩は、素朴な美しい、人の心の歌です。声の響きの美しさを深く知る詩人の音楽
ゆたかな言葉の歌です。詩人の心はいつまでも子ども、年齢を重ねても、この宇宙といのちと永遠について、不思議を感じ
繰り返しなぜ?と問いかけてしまう子どもです。詩人は経済的な便益を生まないことでも子どもと似てあまり役に立たない
弱者です。弱い者としての痛みや悲しみ、生活の苦しさや喜びを歌えます。
人間のいのちはとても脆い、だから詩は人間の心の、魂の歌になる、と坂井さんの詩は伝えてくれます。次のブログでも詩想をより掘り下げ記しました。
坂井のぶこ詩集『浜川崎から』。 詩って、ほんとはなんだろ?(七)
永方ゆかさんの詩
詩「ワタツミノコ」「ものさびしの、ハナ」「いわてやま、きたかみがわ」
永方(ながえ)ゆかさんは、心ゆたかな、日本語を大切にし、歌うことができる、抒情詩人だと感じます。それでもこの詩集が
生まれたのは、被災した方々と同じ時間いる人間の一人として、自分をヨソモノと自覚しながらも、深い「痛み」を感じて
書かずにはいられなかったからだと思います。
心優しい抒情ゆたかな詩歌による鎮魂の花束、永方さんの詩集『ものさびしの、ハナ』が、詩を好きな方、詩心を歌を
求めている方の心に届き、木魂することを、私は心から願います。
次のブログでも詩想をより掘り下げ記しました。
永方ゆか『ものさびしの、ハナ』。詩って、ほんとはなんだろ? (二)
佐川亜紀さんの詩
詩「夢の受胎」「夢の波」「魂のダイバー」
佐川さんの詩集『魂のダイバー』を読むと、波打つ水のうごき、いのちが生まれくる海のイメージに包み込まれます。
「私達が生存さえ奪った先住民族、他民族、死者、他の生き物」の魂と深く交感したいと、愛(かな)しくとても豊かに
揺れている「夢」、作者の願いの深さに私は共鳴せずにいられません。
より直接的社会的な詩も、以下の詩句に凝縮している源からの、書かずにはいられない言葉であることに、私は共感します。
「始源の祖母達の雨を祈る声が聞きたい/宇宙の生命の泉に感応する声が聞きたい」(夢の受胎)。
「私達はかすかにふるえ合う/私達はまだ夢に波立てるか/私達はまだ苦しみ合えるか/私達はまだ愛し合えるか」(夢の波)。
「地球の酸素がなくなるまでに/世界の魂と魂が出会うことができるか/もっとも傷ついたものの魂を/息苦しいまでに捜したい/
そこに見知らぬ輝きがあるから」(魂のダイバー)。次のブログでも詩想をより掘り下げ記しました。
佐川亜紀の詩集『魂のダイバー』
佐川亜紀の詩集『押し花』。やわらかく滋味ある、言葉と行い。
田川紀久雄さんの詩
詩「生きてさえいれば」「それでも聲を出し続ける」「虚しさは生きている証拠だ」
田川さんの詩集『鎮魂歌 東日本大地震のための応援詩』から私の心に強く木霊する好きな詩を紹介します。
この詩集に込められた思いの切実さ、鎮魂の祈りは、偽りの無いものだと私は感じます。悲しみの言葉なのに
肉聲の響きが心に沁みこんできて体温をうちから感じ温まるはなぜでしょうか。末期癌と毎日闘病されている田川さんの
研ぎ澄まされた心からあふれだす伝えずにはいられない思いが、いのちのふるえる歌そのものだからだと私は思います。
詩「なみだとにじ」「かなしいから」「ほっきこう」
田川さんの詩集『かなしいから』には私がとても好きな言葉の音楽、言葉の歌が響いています。
次のブログでも詩想をより掘り下げ記しました。
田川紀久雄の詩集『かなしいから』(1)。 詩って、ほんとはなんだろ?(四)
田川紀久雄の詩集『かなしいから』(2)。 詩って、ほんとはなんだろ?(五)
中村不二夫さんの詩
詩「やさしい手」「K病院救急病棟」「青春譜」
文学の表現の中心には必ず生命があり人間がいます。そして詩は人間の心にこそ生滅する芸術です。
中村さんの詩に響く、何より大切な愛と祈りと鎮魂、やさしい手を知りつつ強く傲慢な物に立ち向かう
精神が、私は好きです。人間がいる、人間を思う心がある、生命をみつめる詩を、私は大切に思います。
紫野京子さんの詩
詩「日溜まり」「笹舟」「草絮(くさわた)」
紫野さんは、生と死のあわいで祈り、あわいを行き来され、逝ったひとたちのおもいを感じ、
伝えてくださいます、「忘れてはいけないからではなく / 忘れられないから」。阪神淡路大震災で
「永遠に喪われた時」。それでも「私たちは 今も / 逝ったひとたちと共にいる」と
吉川千穂さんの詩
詩「海」「ミュンヘン」「新世界」
吉川千穂さんの詩は、魂の叫びです。私にとってもそれは詩の根源です。痛みに揺れ動く思いから
詩が生まれる姿は、この詩「海」そのものです。詩集『再生』に揺れ動く言葉の波が、詩人・神谷恵さんの
まなざしの陽光を浴び飛沫となって光り輝いています。
神谷恵さんによる詩集評「吉川千穂詩集『再生』を読む‐野の花のように生きるあなたへ」
吉川さんの第2詩集『烈風』から詩「ミュンヘン」と詩「新世界」を紹介します。
書かずにはいられない思いから生まれ、詩集全体がひとつの作品、問いかけとなって心に迫り、
詩は感動だという、根源の思いを呼び醒ましてくれます。生きることも創作も、痛みを感じ尽くし潜り抜け、
それでも、そのむこうに「新世界」の光を見つけ向かってゆくことだと、教えてくださる稀有の詩集です。
宮城松隆さんの詩
詩「沖縄戦と看守S」「避難」「グルクンの目」
宮城さんは、生きることの悲しみを、悲しみの渦中の魂と共にあって、詩にされます。沖縄戦で
無念のうちに亡くなった人、病に苦しむ人、弱者として掻き消されそうな声の震えを決して押し殺させまい
との強い思いは詩でしか伝えられない、伝えたい詩そのものです。
『宮城松隆追悼集 薄明の中で』が2013年1月31日宮城松隆追悼集発行委員会(代表・平敷武蕉)から発行されました。
内容は、宮城松隆作品集(詩とエッセイ・評論)と年譜、追悼詩、エッセイ・評論で、
私も追悼エッセイ「文化を、詩を育む詩人・宮城松隆」を寄せています。
細野幸子さんの詩
詩「プリズム」「単純作業」「ゆきだるま」
細野さんは、極北の星のひかりのような、あわゆきのような、本当の詩人です。紡ぎだされる詩は
ピアノの美しい旋律となって耳たぶをくすぐり心をふるわせ彼方へ誘ってくれます。しゃぼんだまの
ように、虹のように哀しく、永遠を瞬間に浮かべ、響いてゆきます。
山下佳恵さんの詩
詩「記念の日」「いい子だよ」「悩み」
山下さんは私と同世代の詩人です。やさしい思いをまっすぐに詩にされます。私が女性の心を
表現しようと懸命に努力しても書けない詩を、そっと差し出されています。心がてのひらで包まれて
温かくなり、生きることを励まされている、と感じる、伝えたい詩です。
崎本(神谷)恵さんの詩
詩「晩鐘」「芽吹き」「利き手はどっち」
生きることに真摯にむきあう魂の祈りの詩です。神谷さんの詩集『てがみ』に私は感動しました。
書かずにはいられない思いが結晶した詩は、詩にふれたいと揺れるひとの心に必ず響き励ましとなる、
そう感じさせてくれる詩人です。未刊の作品をお寄せくださいました。
神谷恵さんは作家・崎本恵さんとして、魂の極みの美しさがふるえる小説を執筆され続けていらっしゃいます。
詩集『てがみ』から 詩「生の良心」「病室の海 霊安室から」「てがみ6 神様の石」「茜色のバス停にて」
詩集『採人点景(さいとてんけい)』から 詩「息」「ほたる」「希い」
次のブログでも私の思いを記しました。
神谷恵の詩。詩集『てがみ』から
神谷恵の小説『家郷』
崎本恵の詩集『採人点景』。 詩って、ほんとはなんだろ?(六)
山本みち子さんの詩
詩「あらう」「方言札」「ヒメユリは」
「あらう」は詩が伝えることができるものを教えてくれる詩、心をそっと揺らすだけで
豊かにしてくれます。愛
(かな)しく温かいいのちの思いに包まれ
励まされていると感じてしまう、好きな詩です。2010年11月のご詩集『夕焼け買い』であとがきに
「前(さき)の大戦の記憶を辛うじて留める世代として、長崎への原爆投下を幼い目に焼き付けた
者として、(略)いま何かに背を押される感覚」があると書かれていらっしゃいます。
新たに2作品の掲載をご了承くださいました。込められた思いを心に留め伝えたいと願います。
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