ぼくは悲しい青年でした。同じ年頃の女の子を見つめても、美しさをそのまま受け止められず、自分も彼女も骸骨なんだ、骸骨を見ようと、その頃は意思していたのです。
乳房ほど美しく恋しく焦がれるものはないと想いながら、骨格だけ透視しようとするなんて、まるで禅僧のようですが、いま思うと、ぼくは女性を崇拝するあまり穢してしまうのが怖かったのかもしれません。
生きることへの、性愛への愛憎が乱反射する、めくるめく錯乱の苦しい世界にいたのです。
こころの境界線の上をさまよい、向こうに倒れ込みそうになったとき、辿り着いた病院。「 境界性パーソナリティ障害 」だと診断され、通院を重ねていたある日、ぼくは一人の少女に出会いました。
うすむらさき美しいすみれのよう、とても繊細な少女でした。内気なぼくでしたが、ふとしたきっかけで会話が生まれたとたん、もうぼくは恋していました。
彼女もなぜだかぼくに好意を抱いてくれました。
ぼくは彼女に、通院のきっかけのこと、苦しい記憶を告白しました。
彼女もぼくに、彼女のノート、悲しく、苦しく、痛い、心の、言葉を、差し出し、開いてみせてくれたのです。