高畑耕治の詩


死と愛。

  たきぎと、ぼたもち。
     ( 孫から、祖母と祖父に )


 祖母の意識が再び戻ることはなかった。祖母の最期を看取り葬儀を終え一周忌を過ぎた秋、母はぼくに話してくれた。幼かった母の記憶におぼろな、祖父のこと。祖母の日記のことを。

 1944年、昭和十九年。夏が終わり秋の初め、赤紙がきた。宣告、紙切れの。お国のために、戦場にいけ、殺しあえと、強制し命令する、紙切れ。
 祖父は三十歳をもう過ぎていた。この歳の者まで狩り出されてしまう戦況なら、生きて戻れるはずもない。祖父も祖母も口にはせず、目で、苦しく、悲しく、嘆きあった。
 「 お父さんは、出征の日までの残されたわずかな日数のうちに、お母さんや私たち子どもに、最後にしてやれること、考えてくれたのだと思うわ 」、母は遠い日を見つめていた。
 たきぎづくり。
 紅葉しはじめた秋の山になんども入り、祖父は木を切り、担ぎ、持ち帰り、たきぎにした。
 「 軒下まで、たきぎの山を積みあげていた、父の背中、忘れられない 」。
 数年の間は、妻がたきぎづくりで困らないよう、苦労を減らしてやろうと。
 冬が近づいていた。

 ぼくは想う。祖父は木を切りたきぎを積みあげ汗流しながら、想い浮かべていたろう。たきぎで妻が料理する横顔、炊きあがったごはんを食べる子どもたちの笑顔、たきぎを風呂釜にくべる妻の火照り顔、五右衛門風呂で歌う子どもたちの可愛い裸姿を、きっと想い浮かべ、泣いていた。涙みせず、汗に溶かして。
 赤く燃えあがるたきぎ、照らし出される暖かな団欒のひととき、そのとき自分は戦場でもう死んでいるだろう、この世にいないだろうと、祖父は苦しんでいた。ぼくにはわかる。いちども会うことはできなかったけれど、血を受け継いだ孫だから。悲しい、とても。

 当時軍港だった呉から、祖父が戦場へ向かう出国の日が決まったと、知らせが届いた。
 「 あなたのおばあちゃんは本が好きで、机に向かいなにか書いている姿は見なれていたけど、おじいちゃんとの別れの日のこと、遺品の日記で初めて知ったわ。おばあちゃんは中国山地の山道を、まめをつぶしながらわらじで歩きつづけて、おじいちゃんに会いにいったの。ゆるされた最後の面会にいったの 」。母の目はぬれていた。

 手みやげをなににしようかと想い巡らせ、祖母は決めた。
 あんころもち、祖父の好物の、ぼたもち。
 戦場で恐怖と疲労に苦しむ前に、食べさせてあげたい。どうか無事に帰ってきてください。願い、祈り、愛と涙を練りこんだ、ぼたもち。
 手みやげを懐から差し出し、祖父とともに過ごした短い面会時間。幼い子どもたちのことを話したろう。
 ぼくはぼたもちを想う。ほおばる祖父と見守る祖母、二人を想う。二人の別れの瞬間を想う。ひどく、悲しい。

 1945年、昭和二十年、日本各地は空襲に焼け、沖縄戦で、広島、長崎への原爆投下で、数え切れない罪の無い人たち、子どもたちが、惨殺された。
 8月15日敗戦。夏が終わり、秋が過ぎ、冬を迎え、春が萌え、また夏がきても、祖父は帰ってこなかった。祖母たち家族は無事を祈り、帰りを待った。また一年。帰らなかった。
 敗戦から三年目、1948年、昭和二十三年のある日、祖父はその日も帰らず、紙切れだけが届いた。帰宅を待ちつづける妻と子どもたちの願いを踏みにじる、お国の通告。非情の、公の、証明書。

 「 戦死 」。1945年、昭和二十年、敗戦の年の四月二十八日。南洋フィリピン沖で。
 もう死んでいる。夫は、お父さんは、もうこの世にいない。
 連れ去り、殺した、お国は、紙だけ送りつけた。妻に、子どもたちに、心苛む、紙切れを。

 村の葬式。若い妻と幼い子どもたちは、夫を、父親を、弔った。遺品を涙で洗い、墓に納めた。遺骨のない、亡骸のない、夫を、父親を、心で探しながら。

 あなた、どこにいるの?
 お父さん、どこにいるの?
 太平洋の海の底まで、沈めたでしょうか?
 南島の渚には、漂着できたでしょうか?
 殺された後だけは、やすらかに、眠れているでしょうか?
 ふるさとの村、わたしたちのそばに、魂だけは、
 戻ってきてくれたの?
 墓に納めた遺品は、手にとってくれた?
 どこにいるの?
 もういちどだけでも、
 会いたい。

 祖母は、東京の神社もさまよった。遺骨のない祖父を探して。
 長兄として、ふるさとの家で祖母を支えたぼくの叔父は、東京にはいかなかった。妹、ぼくの母は聞いたという、
 「 殉じることを強制されて、逃れる術がなくて、お国に殺されたんじゃけえ、父は靖国にはおらん 」。
 とても優しい目をした、穏やかな叔父の、静かな怒り。けしてゆるせないのだ、と想う。ぼくも同じだから。
 母の弟、もうひとりの叔父は、フィリピンへの慰霊ツアーに参加しようとしている。幼い日に、お国に連れ去られた、奪われた、父親を探して。父親のそばへいきたくて。

 おじいちゃん、あなたが戦死したとお国に紙切れを投げつけられ、葬式はしたけれど、おばあちゃんも、おじちゃんたちも、母もみんな、その後ずっと、あなたを探しています。
 生きているかもしれない、心のどこかで祈りつづけています。
 死んでしまったにしても、どこにいるのかわからないあなた、確かめようのないあなたを、想いつづけています。みんな、探さずにいられません。
 ぼくも軍服姿の写真でしか見たことがないあなたを、探してきました。戦死した、もういない、頭で自分を納得させようとしても、探さずにはいられません。会いたくてたまりません。
 おじいちゃん、いま、どこにいるの?


「 死と愛。たきぎと、ぼたもち。( 孫から、祖母と祖父に ) 」( 了 )

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