高畑耕治詩集『さようなら』

あとがき


 さようならをささやきながら舞いおりてくるこな雪をあび、いつしかわたしは雪だるまになっておりました。ふと見あげれば季節はめぐり、こな雪もいまは眩いひかりの姿で楽しげに駆けめぐっているようです。この夏、暑い日射しのなかで、ささいなふたつの出来事がこころの雪を溶かしてくれました。
 入院している祖母と数年ぶりに会えたこと、そして二つになった姪と遊んだこと。
 手術をくりかえす痛みを、わたしに感じとらせない祖母のなつかしい笑顔は、あまりに澄んですずしく悲しく美しいと思いました。透きとおる肌にきざまれたしわ、深いこころのひだに織りこめられた思いを、少しでも感じとれるようになりたいと思います。祖母の手にふれると、会うことのできなかった祖父、戦争で殺されたひとたちを思わずにはいられません。
 姪のひかりちゃんはわたしの三十の誕生日にうぶ声をあげたかわいい女の子です。この子の笑顔のそばにいま、いると感じることは喜びです。彼女のまだたどたどしい手さぐりの、舌さぐり、こころさぐりの言葉、声が、どんなにわたしをしあわせにしてくれることでしょう。
 義妹は母とつわりの痛みを話していました。生む、痛みと喜び。作品を生んでいるときだけは、わたしもその近くで生命を感じているような気がします。この秋に、もうひとりの甥か姪がうぶ声をあげます。まだ会ったことのない、いま海にゆれている彼たち、彼女たちの目に、美しい世界が開かれてゆきますように。
 祖母の深い湖のように澄んだ静かな笑顔、ひかりちゃんの言葉もからだもはねてはだかでかがやいている笑顔と、響きあえる作品を生みたいと思います。ふりつもるこな雪、あびてきたひかりを、溶けてゆく雪だるまの汗だくのひとしずくひとしずくに結べたら、とだけ願っています。

 加藤幾惠さんは眠りこけがちな雪だるまを叱咤激励してくださいました。どんなにうれしかったことでしょう。詩人の森田進様、いつわりのない率直なお言葉で励ましていただけたこと感謝しております。雪あかりに見えかくれするおぼろな作品を照らしだし浮かびあがらせるお言葉を投げかけてくださった磯村英樹様、ありがとうございました。
 さようならをささやきながらいつまでも、このこころに息づいてくれるひとりひとりのひと、生きものに、雪だるまの汗のしずく、この小さな水たまりを捧げます。いつか静かな湖でふたたびめぐりあえますように。

 一九九五年  高畑耕治



「 あとがき 」( 了 )

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