詩人 中村純

詩「 海の家族 」。詩集『 海の家族 』( 二〇〇八年、土曜美術社出版販売 )所収。
詩「 生まれなかったあなたへ 」。詩「 愛し続ける者たちへ 」。
詩集『 はだかんぼ 』( 二〇一三年、コールサック社 )所収。




海の家族


そのとき海の匂いがした
ぷらくとんをたくさん含んだ
いのちをはぐくむ海
もう一度 大波が寄せれば うまれる
呻きの向こうで 高波のしぶきが飛翔した

「 もう一度! 」
叫ぶ助産婦たちの声にあわせて
私は波打ち際に 思い切り走って
君を迎えに行ったよ
私の躯は破れて裏返り
大量の海水がざぶんと押し寄せ
君は打ち上げられた

海水の匂いのする君は
私のはだかの胸にうつぶせにされて
やがて首を少しあげ
薄目をあけて 世界を見渡した

「 パパとママのところに来たのね 」そう言うと
「 えっ えっ 」とちいさな声をあげ
乳房をさがし始めた
やわらかなくちびると髪
うまれたてのいのちの
はだかの美しさよ

彼岸から此岸へ くらい海を渡って来た君
私は身二つになり もう一度うまれて
はじめて パパとさんにん
海の家族になった
このまま さんにんぽっちなら ずっと幸せだね
やわらかなエゴイズムに
ゆらゆらと心地よくゆれる舟
くらい海を超えて
もう一度 世界に素足で降り立ってみよう
世界と和解した



生まれなかったあなたへ


ジャガイモの皮を剥くとき
不意に鳩尾( みぞおち )にせりあがるニュース

 渋谷のネットカフェのトイレの便器で、臍の緒のついた男の嬰児の遺体
 が従業員に発見された。二十三歳の無職の母親逮捕。


若い女が「 母親 」と呼ばれたのはそれが初めてだったろう

トマトの赤い実を刻むとき
胎児の頭は私の胞衣( えな )を破り 子宮から先の管を通る
闇を超えて産まれようとする者の あの痛み
それは私から胎児を引き剥がす痛み
胎児の痛みだったか 私の痛みだったか わからない
若い女の痛みだったか 私の痛みだったのかも 思い出せない

あなたがトイレの管から再び産まれることはない
玉葱を刻むとき
( うみ )の匂いのするあなたを流す水洗の音が耳を劈( つんざ )

一度も肺呼吸をしないまま 永遠に泣かない赤ん坊
羊水から出たあなたを受け止めたのは
助産師たちのまだ若い手ではなく
体じゅうの水分を搾り出してしまった私の代わりに泣いた
若い女医でもなく
チカチカと点滅する蒼白い蛍光灯を反射する 冷たい 便器
跳ねる魚( たいじ )の白い肉・・・・・・

 どうしたらよいのかわからなかった。
 だからひとりでトイレに産んだ。


それはいつかの女( わたし )たちだったかもしれないね
未来なのか過去なのか もう思い出せないけれど

あなたよ
ひとりさまよう身重の女の無言の口を開かせよ
ネットでつながる無名の他者にすがった女から産まれた孤児( みなしご )
あなたを産み 生むことができなかった女は
制服の男たちに連れられていき
あなたに吸われなかった乳房は 固く凍えていっただろうに

私はあなたを宿す
それは母性ではなく 孤独な私たちの彷徨( ほうこう )
鳩尾を気にして 夕暮れのキッチンに立ち尽くす おんな



愛し続ける者たちへ


粘着テープで締め切った ワンルームマンションの一室
大阪の夏 裸で死んでいた一歳と三歳の姉弟

あなたたちは
水と食べ物を探して冷蔵庫を何度もあけたのでしょう
「 ママ 」と何度も叫びながら
暑さに自分たちで裸になったのでしょう
人々のひしめく都会で
無援のまま 自分たちで生きようとした

そのときドアをあければ
あなたたちはきっと「 ママ 」と飛びついたのでしょう
ずっとずっとずっとずっと 待って待って待って待って

今でもあなたたちはママを待っている
あなたたちが愛し続けたママは遅すぎた
あなたたちのやわらかな頬が茶色く干からびて
体から白い骨がのぞいても
それでもママだけを待っていたのに

やわらかな頬は 水と食べ物と愛情を与えなければ
すぐにその弾力を失ってしまう
愛し続けてあげなければ 生きられない
やわらかな いとおしい うたがいのない いのち

愛し続けたのは むしろあなたたちでした
あなたたちには ママしかいなかったから
信じて待って 愛して 何度も許して
抗議することばさえ知らなかったであろう あなたたち

幼い者たちの声が聴こえない社会を 大人たちを
許してくれとは決して言わない
喜びも悲しみも期待も不安もわかるようになっていた
あなたたち
生き延びることのできなかった地獄と飢えと灼熱
許してくれとは決して言わない





著者略歴
中村純( なかむら・じゅん )
一九七〇年 東京生まれ。
二〇〇五年 第十四回詩と思想新人賞受賞( 詩「 子どもの中の静かな深み 」 )
二〇〇五年 第三十七回横浜詩人会賞受賞( 詩集『 草の家 』 )
詩集
二〇〇五年 『 草の家 』( 土曜美術社出版販売 )
二〇〇八年 『 海の家族 』( 土曜美術社出版販売 )
二〇一三年 『 はだかんぼ 』( コールサック社 )
評論・エッセイ集
二〇一三年 『 いのちの源流――愛し続ける者たちへ 』( コールサック社 )
所属
日本現代詩人会、日本詩人クラブ、詩人会議、横浜詩人会、「 いのちの籠 」各会員。

掲載されている詩の著作権は、詩の作者に属します。

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