もうこれ以上頑張れない
まさに慟哭以外のなにものでもない
頑張らなくても
人は生きていける
生きていること自体が
頑張って生きている証なのだから
無理をしないことだ
頑張らなくても良い
しかし生きることを諦めてはいけない
あなたが生きることが多くの人に
生きる勇気を与えているのだから
頑張って生きますという言葉よりも
一番輝いていることなのだから
人前で笑わなくてもいい
だれだってこんな酷い災害に会えば
もう生きてはいけないと思うのが当たり前なのだから
僕だって末期ガンの中で
お先が真っ暗闇になったとき
愛するものの言葉を聴いた
生きてさえいればそれで充分だと思った
もうこれ以上頑張れない
そう頑張らなくても良いから
生きていてほしい
生きることを諦めなければ
きっと生きる希望が生れてくる
いまは多くの死者たちのために祈り
そこから再出発をするしかない
生きていることに価値があるのだから
(二〇一一年三月二十五日)
日常生活が閉ざされた
心に大きな津波が押し寄せてくる
虚脱感が全身を覆う
多くの人たちが蹲ってしまう
泣く涙も出てこない
いのちが動き出す時をじっと待つ
私に出来ることは
祈り
あなた達の心まで届かないかもしれないが
それでも肉聲を発する
今朝も公園で詩を語った
あなた達が生きようとする
いのちのエネルギーを感じながら
閉ざされている心を支えたい
亡くなっていった多くのいのちと共に
私のこころの小さないのちを灯し続ける
今年も桜が咲き始めた
寒い季節を乗り越えて
あなたたちの心に花が咲く時が来ることを信じながら
いつまでも蹲っていられるものでもない
きっとあなた自身の心が
未来に向けて動き出すだろう
だからいまは蹲ることによって
いまに耐えている
そっとあなたを見守るしかない
(二〇一一年四月三日)
癒されることのない心を抱きしめて
生きねばならないのか
いくら励まされても
虚しさは消えていかない
励まされるほど
苛立ちが高まってくる
言葉では
頑張ってみますと言っても
どう頑張ってゆけば良いのか解らない
日増しに被災の痛手が身に沁みてくる
見渡す限り瓦礫の山である
幼少時代に川崎空襲を味わった
最初の記憶が火の海であった
母親におぶさって逃げた時の思い出が
この大震災の光景と重なってくる
あれから六十五年過ぎても
私の心の中ではあの時の恐怖を拭い去ることができない
幸せな生活を送っていても
心のどこかでまたあの時の状況が起こるのではないかと
心の一番深い場所では慄きながら生きていたのだ
海を見る老人がいる
海を見る母親がいる
海を見る子供がいる
その背後には廃墟と化した街が横たわっている
家らしい家が一つもない
愛する者を失った悲しみが
潮騒と一緒にやってくる
癒されることのない心を抱きしめて
生きねばならないのか
(二〇一一年四月三日)
漉林書房通信・詩語り「田川紀久雄日記」
著作